童謡「かごめかごめ」に隠された徳川埋蔵金

みなさんかごめ唄という歌はご存知でしょうか?

あの「かーごーめかーごーめー」と歌いながら一人の周囲をくるくると回り、後ろにいる人を当てるという遊びのあの歌です。

もしかしたら今の若い人はご存じないかもしれませんが、ご両親や親戚の方などは必ず知っているほどに日本中で知られているこのかごめ唄なのですが、実はある噂がささやかれています。

まずは、かごめ唄の歌詞をご覧ください。

かごめ かごめ かごのなかのとりは
いついつでやる よあけのばんに
つるとかめがすべった うしろのしょうめんだあれ

という歌詞で構成されているのですが、見てみるとわかる通り、部分ごとには理解することが出来ます。

全体を通してみると全く意味を理解することが出来ません。

古くから伝わる他の歌、例えば君が代なんかであったとしてもその文章は意味を成し、全て説明することが可能です。

日本人は古くから俳句や短歌に代表されるように言葉を大切にし、言葉の流れに美徳を感じるような人種であるはずなのに、なぜこのかごめ唄だけは意味不明な文章のまま伝えられているのでしょうか?

実は、このかごめ唄なのですが、徳川埋蔵金のありかを後世に伝えるための暗号なのではないかと言われているのです。

徳川埋蔵金とは

江戸幕府の末期、討幕軍によって江戸城を明け渡し、その権力を天皇に戻すべく迫られていた徳川慶喜が、そのまま江戸城を討幕軍に明け渡せば自らが持っていた財産もすべて討幕軍に没収されてしまうと考え、自らが所有していたすべての財産を日本のどこかに隠したと言われる、現在の価値にあらわすと20兆円とも言われている徳川家のすべての財産です。

事実、江戸城を明け渡された討幕軍が金庫を開けてみるとからであったという話や、江戸城を明け渡す数日前に大勢の労働者が何かを運び出していたという目撃情報が残っています。

かごめ唄と徳川埋蔵金の関連性

そんな、日本のどこかにあると言われている徳川埋蔵金ですが、なぜ、今回のテーマであるかごめ唄と関連していると言われているのでしょうか?

その理由は、このかごめ唄はある一定の時期を境に、連絡手段のなかった当時としてはありえないほどのスピードで日本全国に広まったことに端を発しており、そのかごめ唄を全国に広めて回ったのがあの有名な俳人、松尾芭蕉ではないかという説があるためです。

この松尾芭蕉という人物は日本の各地で様々な俳句を遺している事が有名ですが、当時の日本は藩ごとに関所で区分けされ、荷物を運ぶだけでも手形が無いと通行することを制限され、関所を無視して超えようものなら重罪を犯した犯罪者として厳しく罰せられてしまっていた時代です。

そんな時代に軽々と関所を超え各地を旅した松尾芭蕉です。

ただ俳句を書きたいからなどという理由でそんなことをすることは不可能であり、本当は幕府による何か大きな目的があったのではないかと噂されているのです。

そしてこの松尾芭蕉の身分に関しても様々な噂があり、引退後の服部半蔵であるとか、徳川家の将軍本人であったとか様々な噂がささやかれています。

しかし、その正体が何であれ、悠々と関所を超えることが出来るという部分で幕府の目的を達成するために選ばれた人物であること、そして日本中でこの人物だけしかかごめ唄を一気に広めることが不可能であったということだけは確信をもって考えることが出来ます。

そういった理由により、自らの財産が討幕軍の私腹を肥やすために没収されるのを避け、今後の日本でどうしてもその財産が必要になった時に誰かがその謎を解き、その財産を日本のために使うことが出来るようにするために松尾芭蕉が全国を旅してまわり、かごめ唄を各地で広めていったのではないかと言われています。

かごめ唄の指し示す場所とは

では本題のかごめ唄の解読について続けたいと思います。まずは冒頭部分の「かごめ かごめ〜」の部分ですが、これは日本古来から魔除けの文様とされていた竹で編んだ籠の目の文様「籠目」の事を示していると言われています。

その冒頭部分を「籠目 囲め」と読み替え、徳川幕府の中心地であった江戸近郊にある徳川にゆかりのある寺院や銀山などを籠目の形に読み替え、籠の中の鳥を探してみると、なんとその籠目の文様の中心にはあの初代将軍徳川家康を祀っている日光東照宮が存在しています。

鳥がもし鳥居の事であるならば冒頭部分は籠の中の鳥居、つまり、日光東照宮を指しているのだと考えることが出来ます。

次に続く「いついつでやる」とは当時の遊郭の遊び言葉で、いつ求めてくれるのだろう?という意味であり、前行と合わせて言い換えると「籠の中の鳥居はいつ必要な時が来るのだろうか」と考えることが可能であり、埋蔵金を隠したその意味とうまく符合するような気がします。

次の行は「よあけのばんに つるとかめがすべった」とあります。

夜明けの晩とは夜明けが終わったころの早朝や、大きく解釈すると午前中、つまり東から日が昇っている時間帯と捉えることが出来ます。

そして、この日光東照宮の御宝塔には東照宮が建設された当初から鶴と亀の像が置かれています。

鶴と亀が滑ったとは、長寿の象徴である鶴と亀が滑る、つまり暗号的解釈で言うと死を意味していると捉えることが出来ます。

そんな鶴と亀の像の目と鼻の先、東から昇った朝日が鶴と亀の像の影を伸ばした先になんと徳川家康を祀る墓が存在しています。

なぜこのような人の死である墓前に不釣り合いな長寿の象徴である鶴と亀を置いているのか?という日光東照宮において古くから疑問に考えられてきたその配置についての答えもこの説ならば納得することが出来ます。

そして最後の文章「うしろのしょうめんだあれ」です。この徳川家康の墓のちょうど裏手には代々の徳川家将軍を祀っている慰霊塔があるのですが、そこにはなんとこの解読説のすべての始まりである籠目の文様が刻まれています。

しかも、その籠目の文様はなぜか上の部分が意図的に欠けており、まるで下を指し示すように下方向に突き出ています。

謎の文章で構成されるかごめ唄、そしてここに刻まれた変形した籠目の文様はこの徳川家代々の慰霊塔の下に埋蔵金が眠っていることを伝えているのでしょうか?

https://upload.wikimedia.org/w

最後に

今現在最新の科学技術によって、この慰霊塔周辺の地下には大きな空洞があることが確認されています。

ですが、その場所は墓地であり、地下に埋葬されていることは当たり前であり、ただの偶然であるということももちろん考えることが出来ます。

しかも、日光東照宮は国の重要文化財として大切に保管されており、掘削を行う許可が下りることは、現状ではまずないでしょう。いつか日本にその埋蔵金が本当に必要になった時、その答えが暴かれるのかもしれません。

信じるか信じないかはあなた次第です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA